意思ある物
物にも意志がある。
その事に気付いたのは小学校3年生の頃だった。
金色の金具の中心にベネチアングラスの埋め込まれたバレッタ。
ある日、家の近くにあるデパートのショーケースに並んでいるそれと出会ってから、必死で小遣いを貯め始めた。
昔は、祖母に髪の毛を切ってもらっていたのでいつもオカッパ頭だった。
床屋に行く経費削減と、髪を長く伸ばしても、髪の手入れなどまだ出来ないであろうとの考慮も兼ねられていた。
しかし、自分自身ではそのオカッパ頭が死ぬほど気に入らなかった。
前髪が短い上に、横一列綺麗にパッツンと揃っているのも最悪だった。
同じクラスの子達からは、「ワカメちゃんカット」とか「ちびまるこちゃんカット」だとか言われてからかわれるし。
「髪型変えないの?」って聞かれても、他にどんな髪型があるのか分からなかったし。
あの頃の自分と言えば、多分、長髪か短髪でしか髪の毛の違いを知らなかったんじゃないだろうか。
とりあえずは。
いつかは、一度くらい髪を腰あたりまでうんと伸ばして色んな束ね方をしてみたい。
と、思っていたお年頃(?)だったのだ。
そんな時に、出会ったあの綺麗な色合いの素敵なバレッタはとても魅力的で、目を奪われて釘付けにさせられたものだ。
もちろん、「オカッパ頭のくせにバレッタなんか買ったって無駄だ。」なんて言われるのはまっぴら御免だったので、この事は誰にも秘密だった。
時々、家族に、「最近お小遣い使うの早いんじゃない?」と聞かれたが、欲しい物があって貯めている、とだけ言っておいた。
小遣いを貯めている間に他の人が買っていってしまわないか、ショーケースから無くなってしまわないか。
そればっかりが気になって、何度も何度もショーケースを覗きに行った。
髪を伸ばして、あのバレッタを付けて、カッコ良くキメるんだ。
そしてもう誰にもオカッパ頭だなんて笑わせてやらない!
「どれだけ素敵な物を身に付けていても、本人自身がその物に見合うだけの魅力がないと無駄」なんて言葉は、その時頭の中には無かった。
家の手伝いも少しして、お駄賃を稼いだが、それでもなかなか小遣いは貯まってくれない。
結局全て貯まったのは、あのバレッタと出会ってから5〜6ヶ月後だった。
今考えれば無理も無い、と思える。
なにしろ5千円だ。
そんな高額に達するための、最後のお駄賃を貰って手に握り締めたのと、家を飛び出たのはほぼ同時だった。
財布片手にデパートに飛び込み、息を切らしてお店のショーケースを覗く。
依然として、バレッタはそこにあった。
胸をホッと撫で下ろし、店員さんに「このバレッタ、下さい。」と言った。
「ご自宅用でよろしいですか?」
「ハイ!」
目の前で包装用紙に包まれていくバレッタを見つめながら、長い間、よくひたすら待っていてくれた!と一心に思った。
「5千円になります。」
「ハイ!」
大きく膨らんだ財布の中からジャラジャラとたくさんの小銭と2枚の千円札がカウンターの上に勢いよく転がり出た。
今思えば、あんなにたくさんの細々したお金を数えるのは相当面倒くさいであろうそれらを、店員さんは一円単位までしっかりと数えてくれたのだ。
「はい、5千円丁度お預かり致します。」
手を伸ばせば、夢に見ていたバレッタが手に入る・・・!!!!
店員さんに手渡しで貰う時に、店員さんが話し掛けてきた。
「このバレッタね、何度もたくさんの他のお客さんがショーケースごしに眺めてたけど、手にしたのは時々覗きに来る君だったね。」
待っていてくれたんだ。
商品を手渡されると、何だかもう、とてもとても嬉しくなって、「ありがとう」って、店員さんと、今まで待っていてくれたバレッタに告げた。
あれからもう何年も経ったけれど、物にも意志があると言う自分の見解は疑うどころかますます真実味を帯びてきたと思う。
例えば、自分の手元にあると埃を被って机の引出しの隅に追いやられていたキーホルダーが、友人にあげたとたんに輝きだした。
ある時は、とても気に入って懐中時計を購入したが、その時計は自分の不注意で洗濯機にかけられ、たった3日で、時を刻まなくなった。
またある時は、思い出のつまった傘が、色々な所に立て掛けて忘れたり、無くしかけてしまったりを繰り返したのに、必ず最後には手元に戻って来た。
行ったお店が、例え多くの物で溢れ返っていてもその多くの物の中で、一体どれ位の物が自分の目を引くだろう?
家に持ち帰った、その多くの中のほんの一握りの物が、一体何をもたらしてどの位自分と一緒に居てくれるだろう?
つまりは、物と人の間にも人間関係の様に相性があって、物も持つ人を選ぶのだ、と思う。
今も手元にある、素敵なベネチアングラスのバレッタの昔話を思い出す度、出会えて良かった、と思い返す。
今、あいにく自分はショートカットなので、バレッタは付けられないのだけれど。
箱の中に大切にしまってあるそのバレッタは、髪に飾られるその日まで、きっとまたあの時の様に待ってくれているのだ。